The Countess《伯爵令嬢》

「またそんなの読んでたの?

部屋に入ってきた姉は肩を竦める。

「『転生したら至れり尽くせりの中宮人生』とか、どうせ事故死したら乙女ゲームの悪役令嬢に生まれ変わりましたって話でしょ。タイトル見りゃ丸分かり」

私の読む本の表紙を眺める姉の声が苦くなる。

「イラストを見てもヒロインが島田髷《しまだまげ》に十二単《じゅうにひとえ》なのかチマ・チョゴリなのか分かんない服着てるし、男は角髪《みずら》にアオザイ姿じゃないの」

世界史はいつも満点だった姉には痛く気に入らないようだ。

「こんなの異世界物なんだから、漠然とした東洋でいいんだよ」

今、読んでいるページでは、ちょうどトラックに轢かれて死んだヒロインが左大臣の一人娘・橘蘭蘭《タチバナノランラン》に生まれ変わって、周囲が満開の桜の下で爆竹を鳴らしてお祝いしているところだ。

しかし、本人はこの蘭蘭が生前楽しんでいた乙女ゲームの悪役で、皇帝・宝龍《バオロン》に入内するものの、最後にゲームの正ヒロインである中納言の娘・若葵《ワカアオイ》に皇后の座を奪われて出家させられ、皇都の四つ辻で行き倒れの白骨死体になる運命だと気付く。

「で、悪役令嬢に転生したと分かったから必死でバッドエンド回避しようと動いて本来のゲームのヒロインよりも皇帝に愛されましたとかいう展開になるんでしょ」

シュッと微かな音がしてラベンダーじみた香りがこちらにまで漂ってきた。

どうやら新作の香水をまた買ったらしい。

「そんな陳腐な筋書きの本ばっかり書棚に何冊も集めて」

私のラノベ集めよりも姉の香水コレクションの方がよほど散財だと思うが、両親は最低限の外出以外は引き込もっている私よりも活発な姉にとにかく甘い。

「フィクションへの逃避は止めて現実を見なさいよ」

「分かった」

短冊に幸せに生きられる願いを託した俳句を記す蘭蘭の挿絵のページに栞を挟んで書棚に置く。

*****

家族全員が乗った車内。

久しぶりに私が外に出るので、お母さんも上機嫌だ。

「やっぱりこの服はあなたに合うと思った」

真新しい青いベルベットの衣装を着けた私の肩を叩く。

どんな夜会服でも下に着けるコルセットがきついから嫌だ。

傍らの姉も笑顔で付け加える。

「私が着けてあげたオーキッドの香りにもよく映えるでしょ」

匂いに関わらず香水を着けるといつも鼻先が痛くなるから苦手。

父は真っ直ぐ行く手を見据えたまま告げる。

「今日の舞踏会には殿下もいらっしゃるから、お前たちはお目に留まるようにしっかりやるんだぞ」

と、その目がこちらに向けられた。

「伯爵家の娘にふさわしい振る舞いをするんだ」

眼差しにも、声にも、静かだが、今までそうして来なかったことに対する非難と叱責が強く滲んでいる。

母と姉の視線にも同様の色が現れ始めた。

「はい」

六個の目に囲まれた私は頷いて俯くしかない。

本当のところは、伯爵令嬢として社交界に出入りするなんて気詰まりでしかないのに。

きついコルセットの上に堅苦しいドレスを着て舞踏会でオーケストラの演奏に合わせてどれも似たような男と次々踊るなんて、心身共に疲れるだけの退屈な苦役なのに。

私の生活なんか、優雅な着物を纏って琴の音色に耳を傾けながら筆を取って短い詩を詠む古《いにしえ》の東洋のロマンティックさには遠く及ばない。

何とかやり過ごして、帰ったら、あのラノベの続きを読もう。

エキゾチックな異世界の悪役令嬢に転生して、最後には幸せを掴むであろうヒロインの物語の続きを。

祈るような気持ちで、私はリムジンの窓越しの星空を見上げた。()

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