第8話 新しい生活は魔法とともに
特にトラブルも無く商談を終えた裕と神官は、金物屋で鍋を購入して帰路に着く。
「これで、一日に何枚の紙を作れるのだ?」
神官が問う。裕への質問は単刀直入、単純明快なものになる。そうでなければ伝わらないのだ。
「四日で三十二枚。」
裕の答えは、現状の二倍の見積である。神官は満足そうに大きく頷く。
「他の者にも、作り方を教えてやってくれるか?」
裕は快く承諾した。
彼としては、別に何も秘密にすることなどないし、手伝ってくれる人がいればそれだけ裕としても楽になる。
「自分の代わりがいない」のはとても大変なことであると、裕は知っているのだ。
神殿に着くと直ぐに、神官は子どもたちを集める。
「明日より、仕事の割り振りを変更する。」
真面目な顔で子どもたちに新しい役割を割り振っていく。
紙づくり以前に、人数が増えたこともあり、仕事の配分がアンバランスになっていたのを改善することも必要なのだ。
炊事・洗濯や掃除のみならず、畑仕事や薬草の加工など、意外と子供たちに任される仕事は多い。
古くからいるものから順に呼ばれて新しい仕事を言い渡されていく。最初はケンタヒルナだ。
「ケンタヒルナは今後、大聖堂の掃除をするように。」
「嫌だ! 掃除みたいな女の仕事なんて、絶対に嫌だ!」
大声を上げて激しく抗議するが、神官は「やかましい」と鉄拳で黙らせる。
ここの神官は意外と暴力的だ。神官とは神に平和を祈るものではないのだろうか。
そういえば、以前、オーガを相手に棒などを手に戦っていたこともあったし、ある程度の戦闘力は求められるものなのだろうか。さすがに剣術や槍術の達人ということはないだろうが、オーガを相手に怪我をした者もいないのだから、それなりの強さなのだろう。
ケンタヒルナが吹っ飛ぶほどぶん殴られていたのを見たからか、それ以降はスムーズに進んだ。
ミキナリーノの次に名を呼ばれて、裕は正式に薪割りを離れて、製紙チーム配属となった。同僚となるのは十歳の男子と女子が一人づつである。
薪割りは裕の代わりに十一歳の男子が追加となった。
全員の新しい役割が言い渡されると、子どもたちは解散となった。
とは言っても、もう夕食の時間が間近に迫っていたので、皆で食堂に向かったのだが。
翌朝から、裕の指導のもと、製紙チームが稼働を開始する。薪割りチームは先日から入っている二人に新人教育を任せることにしてある。彼らは裕の言うとおりに真面目に薪割りをしていたので大丈夫だろう。
そして、午後からは、裕は子どもたちと一緒にお勉強の時間である。ここで、裕は意外な障壁にぶちあたった。
ミキナリーノが紙に触れようとしないのである。
「子どもは紙に触れてはいけないのです!」
「それ一枚で、いったい幾らになると思っているのですか!」
彼女の父は、国境を超えるほど遠くまで商品を運ぶ遠路隊商の主であり、ミキナリーノは家にいた頃に両親から紙に触ることを固く禁じられていたというのだ。
確かに、紙一枚でパンが六十個以上買える値段なのだ。気安く触れられるものではないのだが、過剰に泣き叫ぶミキナリーノには裕も手こずることになった。
結局、ミキナリーノの意識を変えるには数日を要することになった。
自分より年下の子どもと、父や母の言いつけと、どちらか重いかなど明らかというものだ。
そもそも、ミキナリーノは神殿で世話になっているが、厳密には彼女は孤児ではない。両親は隊商を率いて町を離れており、死んではいないのだ。
ただ、世話役の使用人たちが全員死亡してしまったため、親が帰ってくるまで一時的に、という話を本人が直接している。
つまり、そう遠くない将来に家に帰る前提のミキナリーノは、価値観を変えるつもりがないのだ。
言葉では絶対に納得しようとしないミキナリーノも、紙づくりの体験を経てやっと紙に触れられるようになった。
「これは木製紙、ミキナリーノが触るなと言われた羊皮紙ではありません。」
店頭での販売価格は羊皮紙と変わらないので、裕の言い分は詭弁ともいえるが、自分たちで作れるということが大きかったのだろう。
これで勉強の効率もあがるだろうと思っていたある日、年少者に明かりの魔法を教えることになった。
夜、子どもが夜中にトイレに行くときに一々年長者が起こされるのが大変なのだと言う。ミキナリーノも、明かりの魔法は使えないことは無いがとても暗いのだという。自分はもう慣れているから大丈夫だが、子どもたちは怖がるくらい暗いのだと。
どんなものかと裕が見せてもらうと、昼間では全く認識できない程度の明るさでしかなかった。裕がこうするんだよと明かりを出すと、白日の下で煌々と照らす。
明かりの魔法は割と簡単である。
明るい発光源をイメージし、そこから光の一端を呼び出す。そのイメージを作るには、実物を見るのが一番早いのだが、残念ながらここには蛍光灯も白熱電灯も無い。
「たき火でもしましょうか。」
裕は言って、薪割り作業場に向かう。箒で木の破片やおが屑を掃き集め、竹筒に詰め込む。
「誰か火を点けられますか?」
裕が問いかけると、女の子が一人手を上げる。
「お願いします。」
裕が竹筒を差し出すと、女の子が何やら呪文を唱える。
燃え上がった炎を指し、裕は言う。
「これが明かりです。しっかり覚えてください。この光を持ってきます。」
裕は竹筒を立てて、炎に手を伸ばし、光を手元に持ってくる。その掌の上には光がある。その光を吹き消して裕は促す。
「光を、持ってくる。やってみてください。」
そしてさらに続ける。
「静かに、ゆっくり、光を、呼ぶ。」
何人かの子の手の中に明かりが生まれ、消える。
――日本語で言えば簡単なのに、適切な言葉が出てこない。
もどかしい思いをしながら裕は言葉をひねり出す。
「この明かりを見る。目を閉じる。光を。呼ぶ。」
何度も繰り返していると、できる子が増えた。もうちょっとである。
「目を開ける……明かりを見る……目を閉じる……光を……声に出して……呼ぶ。」
あと二人。
「呪文は要らないの?」
唐突にミキナリーノが問いかける。
彼女が魔法を使うときは、必ず呪文を唱えているのだ。
普通は呪文を唱えるのだと、言われて初めて裕は気付いた。しかし、何と言えば良いのか分からない。
「ミキナリーノの呪文は?」
裕が問い、ミキナリーノが唱える。
「炎の力。旧き友アセニフィアルテ。明かりを灯せ。」
――
なんだそれは。アセニフィアルテって誰じゃらほい。
『根源』や『彼方』って何て言うんじゃい?
――
裕は唸って考え込む。そして。
「輝き燃える炎の力。光よ此処へ、此処へ、此処へ。明かりを灯せ。」
裕の呪文とやらにミキナリーノが不満そうな顔をしている。
アセ何とかが無視されたのが気に入らないのだろうか。
しかし、これで全員が一瞬でも光を呼べた。あとは集中力とイメージ力の問題なので、繰り返し練習してもらうしかない。
裕はふと気になったことを訊いた。
「他の魔法は使えるの?」
ミキナリーノをはじめとした女の子勢が、洗濯の魔法を使えるという。
興味を持った裕は、翌日、それを実際に使っているところを見せてもらうことにする。
タライに水を張り、汚れた布を入れ、呪文を唱える。そして普通にゴシゴシと洗い、絞る。これは洗濯の魔法と言うより、洗剤の魔法と言った方が正しいのかも知れない。しかし、この魔法は、濯ぎが要らないのだという。その分だけ井戸から水を汲む回数も少なくて済むので、この魔法が使えるかどうかで洗濯の労力が大きく変わるのだ。
裕は、いつも自分の服は自分で洗濯している。夕食後に井戸で水を汲んで、当然、普通に石鹸を使って。
「こんな便利な魔法があるなら、なんでもっと早くに教えてくれないんですか!」
裕は洗濯魔法を試し、夜の闇に向かって愚痴を叫ぶのだった。