2話 仏の子

裕は防壁の上に身をかがめながら外を見回す。

意外なことに、獣や魔物どもは道なりやってきている。

何でだろう? と裕は首を傾げるが、そんなことは考えても無駄だと三秒で思考を切り替える。

さて、遠目に見た限りでは、オークやゴブリン、オーガ達は手に棍棒らしき武器を持っているが、弓などの飛び道具を持っているのはいなさそうである。

ならば防御は考えない。あいつらは近距離専門! と決めつけると裕は堂々と立ち上がり、大きく深呼吸をして、矢を番える。

彼は高校時代、弓道部に所属して大会では優秀な成績を収め、といったエピソードは無い。高校時代は帰宅部だったし、弓なんてやったことがない。当然、狙いのつけ方も分からなければ、そもそも矢がどれだけ飛ぶのかも威力の程も分からない。

だが、とにかく今はやってみるしかないのだ。

「当たれーー!」

裕は叫んで矢を放つ。

だが、スキル『弓術』レベル十とか、そんな都合の良いモノも無い。私はそんなチート能力をホイホイと与えるほど安い神ではない。

これはゲームではないのだ! 真剣にやってもらわねば困る。

まあ、そんなわけで、初心者の裕の矢は、無情にも明後日の方向に飛んで行っただけだった。

だが、何度かの失敗からある程度は学んだようで、狙い通りに狼の群れに向かって矢を放てるようになってくる。素晴らしい学習能力だが、いくら学習能力が高くても、訓練もなしに動いている相手に矢を命中させるなど、できるはずがないのだ。

裕は開き直って、当たろうが、外れようがお構い無しで、次々と射かけていく。まぐれ当たりに期待をした、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる作戦である。

持ってきた半分以上を撃っていると、運良く数本は当たったようで、時折、狼の悲鳴が上がる。

しかし、群れ全体の勢いは弱まっていないどころか、先頭を走る一番大きい狼は雄叫びを上げて加速してくる。

そして。

大狼が跳躍する。高さ五メートルはある防壁の上に立つ裕に向かって。

だが、裕は恐れも慄きもぜずに大狼を睨み弓を引く。

「飛んで火に入る夏の虫ィィ!」

叫んで至近距離から、大きく開かれた狼の口の中を狙って渾身の矢を放つ。

そのまま横に倒れ込みながら狼の腹を力一杯蹴り上げて、狼をそのままの勢いで防壁の内側に落とす。

悲鳴とも雄叫びともつかない鳴き声をあげる大狼のことは無視して、裕は立ち上がると直ぐ外に向かって弓を構える。

恐ろしい合理判断だ。

大狼の動きとして考えられる可能性は大きく三つある。

一つ目は、大狼は致命的なダメージを受けていて、もう戦うことはできない。

二つ目は、多少のダメージはあるものの、五メートルジャンプは不可能。

三つ目は、ほとんどダメージは無く、再度ジャンプして裕に襲いかかることができる。

一番目なら何の問題もないし、二番目でも、少々放っておいても直ちに大きな問題にはならない。当面の危険は排除できたと言えるだろう。

問題は三番目だ。この場合は、裕には事実上、打つ手が無いことになる。至近距離からカウンター気味に打ち込んだ矢が効かないならば、もはやどうすることもできない。

したがって、考えるだけ無駄、ということなのだ。

壁の外では、大狼に倣って後続の狼も次々とジャンプするが、防壁の上に届くことはなく壁に激突して落ちていく。

勝手にダメージを受けて、動きを止めている狼に向かって裕は直上から矢を放っていく。情けも容赦もないが、当然だろう。

裕の矢を受けて二匹が悲鳴を上げ、残りの狼も逃げるように遠ざかっていく。その狼を無視して、裕は熊に狙いを定める。

門に向かって体当たりをしているのは、豊かな灰色の毛並みを持つ、体長二メートルは軽く超えている巨大熊だ。

矢を三本ほど射ってみるが、この熊に通用しているようには見えない。裕は熊を狙うのは諦めて、その後ろのオークに向けて残り少ない矢を射かけていく。

「あ、やっぱりダメですね。」

矢を全て撃ち尽くし、裕は空になった矢筒と弓を捨てると、防壁の内側に降りて別の武器を探す。

とは言っても、剣では敵に届くはずもないし、斧は重すぎる。結局のところ弓か槍しかない。

裕は兵士が捨てていった槍を拾うと、低い唸り声に振り向く。道端に転がり苦しみもがいていたのは先ほどの大狼だった。どうやら、一番目の可能性だったようだ。

大狼にゆっくり近づき、裕は持っていた槍を突き刺す。

狼が動かなくなるまで何度も突き刺している裕の頭に、「狼 刃物でメッタ刺し」という新聞の見出しが過ぎる。

既に無力化されている狼に、今とどめを刺す必要は無い。放っておいても、数時間後には死ぬだろう。

そんなことは裕には分かっている。それでも裕には、今、止めを刺すべき理由があった。

簡単なことである。

槍が武器として最低限の機能を有するかの確認、そして、生き物を殺す経験をしておく、ということだ。

裕は今までハエや蚊、アリなどの小さな虫しか殺したことがなかった。目の前に牙や刃が迫っている時に、で手が弛むことがあれば、それは死を意味することになる。

たがら、ある程度安全な所でそれを乗り越えておく必要がある。そう考えた上でのことである。

裕は門扉を見て、まだ少し持ちこたえられそうだと判断し、槍を抱えて再々度防壁に登っていく。

防壁上から外を見ると、狼や熊から少し遅れていたオークやオーガが既に壁に取り付いて、棍棒や剣らしき武器で壁や門扉を殴りまくっている。少し離れたところに、狼が一匹倒れている。不運にも裕の矢が命中してしまった奴だ。

雄叫びを上げて物凄い勢いで棍棒を振り廻しているオーガの一団は怖いので避けて、裕はオークの頭上から槍で突く。

予想通り、痛手を与えるどころか当たりもせず、嫌がらせ程度にしかならない。しかし、オークの意識を裕に向けるには十分だった。

裕は槍を繰り出しながら門扉から離れる方向に防壁の上を移動していく。その動きにつられ、数匹のオークが裕に向かって叫び、棍棒を振り回す。裕も何とかオークの目でも潰せればと必死に槍を突きだすが、子供の力などたかが知れたもの。細かく狙いを定めての攻撃など、そう上手くできるものではない。

結局、体力の無駄だと槍を戻して睨んでいると、オークが肩車をしはじめた。そうすれば攻撃が届くとでも思ったのだろうか。

「莫迦なの?」

そう。それは格好の的だった。

二匹の協力プレイで攻撃力二倍! になんてなるはずがない。安定感を失い、振り回す棍棒にも力が入っていないし、移動速度も遅くなっている。

少し高いところに手が届くようになっただけで、それ以世の要素は全部ガタ落ちで、どう考えてもデメリットの方が大きいのだが、オークの知能ではそんなことも分からないのだろうか。

肩車オークが近づいてくるのを待ち、裕は改めて槍を繰り出す。こちらも力なく、よろよろとした突きだが、狙い違わず上のオークの首を捉えた。

「ラッキー!」

裕は自分の戦果に満足して、そろそろ撤退しようかとも考える。一人で五匹も退治しているのだ。十分すぎる働きのはずだ。

身を隠す場所は無いかときょろきょろと見回していたその時、轟音が響き、門扉が破られた。

凄まじい地響きは、門扉が内側に倒れたときのもののようだ。防壁内に雪崩込んでくる敵を見ながら、裕はその戦力を確認する。

狼が十一、一頭どこいったのか、熊が何故か二に減っている。 オーク十六、オーガ七、ゴブリン二十以上。

これをどうするかと裕は作戦を考える。

――

ゴブリンあるいは狼だったら、一対一なら何とかならなくもないだろう。

しかし、複数を同時に相手にするのはどう考えても無理だ。勝てるはずがない。一匹ずつ釣り出して、自分に有利な場所・戦い方で相手をすればなんとでもなる。

武器はどうするか。槍や斧を取り扱うには腕力が足りていない。弓は矢が尽きた瞬間に役に立たなくなる以前に、まともに狙いもつけられないので却下。

手頃なサイズの剣や鉈、投石用の紐や棒を探すべきか。

兵士詰所に良い武器が有れば良いのだが……

――

ふと見ると、ゴブリンが四匹、防壁の梯子を上ってきている。

「お前たち、莫迦なのですか? いや、莫迦なのでしょうね。」

裕は通じないと知りつつも言葉を投げかける。

防壁の上まで登ってきたゴブリンは、奇声を上げながら山刀のような武器を振り回す。

それに対し、裕は冷静にゴブリンの間合いの外から槍で攻撃を仕掛ける。

裕とゴブリンでは、そもそも得物の間合いが違う。そして、横に回り込むだけの幅がない壁の上では、槍の長さを活かして、懐に入れさせなければ負けることはない。

複数の相手に取り囲まれたり不意打ちをされる心配も必要ない。これほど有利に戦える条件が整っていれば、そう簡単に負けはしない。ワザと攻撃を大きめに外して隙を作ってゴブリンを誘い込み、後ろに下がりながらのカウンターで致命傷を与える。

意外と危なげなくゴブリン四匹を倒した裕は、ゴブリンの武器を確保して、ゴブリンを防壁の外に落とす。

そして、大きく息を吸い込んでわざとに悲鳴を上げてみた。獣や蛮族というのは、悲鳴に群がるものだ。有利に戦える場所で撃破数を稼ごうと呼び寄せることを試みたのだ。

そして、やってきたのは思ったよりも少なく、ゴブリン×三、そしてオークが一匹だった。

「お莫迦ばかさん、いらっしゃいませ!」

ゴブリン三匹を余裕綽々で倒して、防壁の上で裕はオークと対峙する。

とにかくオークの足元を狙って攻撃を繰り返す裕。その攻撃は貧弱でオークを倒すことなどできそうにないが、狭い壁の上で足元を狙われ、オークは間合いを詰めることができなくて苛立ちをみせる。

互いに攻めあぐねている状況を変えたのは裕だった。

突如、オークの横、何もない空中に向かって走り込んだのだ。

咄嗟の反応でオークは体の向きを変えて足を踏み出し、いや、踏み外した。

次の瞬間、オークは背中から地面に落ちていた。

一方の裕は、積み上げられた荷箱の上に着地している。

「ジャンピングスピアスティング!」

何やら謎の必殺技を叫んだ後、オークの胸の上に槍が深々と突き立てられていた。

周囲に敵がいないことを確認した裕は、武器回収のために防壁の上に向かう。

「私の分は十分戦ったような気はしますが…… 他の住民はどうなったのでしょう? さっきから悲鳴が聞こえるということは大丈夫ではなさそうですが……」

裕はゴブリンが持っていた山刀の素振りをしながら、町の様子を伺う。そしてふと、熊が一頭足りなかったことを思い出した。

「おーい、クマさーん、どこに行ったのですかー?」

問いかけるが返事は無い。そして、壊れた門扉の前で倒れている熊を発見した。

気を失っているだけならば、目覚めたら厄介だ。ということで転がっている槍を拾って止めを刺す。

――

勝手に倒れていた熊はともかく、狼とゴブリン、オークは戦果のはず。もう十三匹も倒したのですから、少々サボっても罰は当たらないでしょう。

なんか、怒声だか悲鳴が聞こえるような気がするけど、きっと気のせいだ。

――

裕はそう考えて一旦休憩を取ることにする。

「自分は一人で戦っているのに誰も助けてくれなかったのだから、助けに行ってやる義理も義務も無い。」

一人呟く。言っていることは確かに間違っていない。しかし裕は、自分が全く助けを求めてなどいなかったことには気付いていないようだ。

六歳児である裕は、物理的にはどう考えても弱者のはずなのだが、弱者の精神は持ち合わせていない。目が覚める前の裕は三十四歳。厨二病が抜けきっていないオッサンだった。

暫くの間、防壁の上に座ってやたらと晴れた空を見上げていたが、ふと立ち上がり周囲を見回す。どうやら喉の渇きと尿意を感じたようだ。

防壁を下りて手近な家に入り、トイレを探す。が見つからない。台所の水道も見当たらない。何軒か入ってみるが、やはりない。

「上下水道が無いのか…… くそぅ。いや、マヂでくそをどうするんだよ……」

古代から下水道という概念は存在していたらしいのだが、ヨーロッパでは近世までは道端に人糞が転がっているのが普通だったという。だから、ある程度以上の規模の町は悪臭に覆われていたとか……

だが、この町は汚物が堆積している様子も蔓延する悪臭もない。それは何らかのし尿処理が行われているということである。

裕は仕方なしに物陰で用を済ませ、井戸を探す。常識的に考えれば、共用の井戸は使いやすい場所にあるはずだ。

苦労することもなく井戸を見つけた裕は、埃や血に汚れた手足を洗い、喉を潤す。

そして休憩ができる場所を求めて近くの家に入り、動きを止めた。

血の臭い。そして、何者かが息を潜めている気配がそこにはあった。

――

逃げ遅れた人が隠れているなら問題ない。けど、敵が隠れているならば、殺す。

無理だったら逃げる!

――

裕は、山刀を構えて気配に向かう。廊下には明かりがなく、玄関からの光では奥まで見通せない。薄暗い廊下を進み、ゴソゴソと何者かが動き回る気配のある部屋に近づく。半ば空いた扉から中を覗き、裕は即座に扉を閉めた。

中にいたのは狼。獲物に気付いた狼は間を置かずに飛び掛かってきた。

だが、扉が閉まる方が早かった。物凄い衝突音がして、扉が震える。狼が扉に激突したのだろう。

一拍置いて、扉を開けると狼は再び突進してくる。

「面!」

裕は大上段に構えた山刀を、渾身の力を込めて振り下ろす。

狼は必殺の一撃を受けたものの、それでその突進が止まるわけでもなく、裕は壁と床に叩きつけられて呻く。

少女は弟と一緒に部屋の隅で縮こまっていた。家の中に入り込んで来た狼が女中に飛び掛かるのを見て、弟と一緒に近くの部屋に逃げ込んだのだった。両親は現在、隊商を率いて遠方まで交易に行っていて不在の折のこの事態である。

突如、激しい物音が家中に響き渡った。狼が吼え、激しい物音が続いている。

恐る恐る扉を開けて様子を見た少女の目に入ったのは、部屋から飛び出てきた巨大な狼。そして、その体当たりを食らって吹っ飛ぶ子どもの姿だった。

少女が動くこともできず、悲鳴を上げることすらできずに固まっていると、子どもが剣を手に狼に向かう。

少女は信じられないものを見て愕然とした。

狼が唸り声をあげ、子どもが吼える。剣と牙が、互いに相手の命を奪おうと何度も飛び交う。

不意に狼の目が少女の方を向いた。息を飲み、少女は身を竦める。

その一瞬の隙を突いて、子どもの剣が狼の腹を抉った。

悲鳴を上げて転げまわる狼の喉元に子どもが止めの一撃を放って、戦いの幕引きとなった。

大きく息を突いたのち、子どもは他の部屋の扉を開けて中を覗いていく。一通り部屋を覗いた後に、少女に手を振って家を出て行った。

裕は歩きながら考える。

――

逃げ遅れたのか、単にそういうものなのか、家の中に隠れている人間がいる。そして、それを探して襲おうとしている敵がいた。だけど、今の戦いの音に引かれて出てきた獣はいない。

怒号の中心点、おそらく主戦場は、ここからは結構離れている。

襲撃してきた敵の総数は六十から七十程度だったはず。そして自分が倒した敵の数は十四プラス一。

あれ? もしかして既に二割近く倒してるのでは? まあ、弱い奴ばかりだけど。

このくらいで満足して、あとは兵士たちに任せるか?

何にしろ、まず休憩だ。さっきから全然休めていない。

興奮レベルが高すぎて疲労度が分からない。けれど客観的に考えれば、相当に疲れているのは確かなはずだ。

さっきの狼でダメージも受けている。

肝心なところで動けなくなるのはマズい。どこかで休むべきだ。

――

裕は大きな看板の出ている扉をくぐる。中に明かりはなく、人の気配もしない。ついでに、獣の気配もない。

目を凝らしてみると、室内にはテーブルがいくつも並び、奥にはカウンターがある。

足を踏み入れて、ソファか何かないかと探していると階段を見つけた。

二階に上がってみると、廊下の左右に扉が並んでいる。

裕は、ノブに手を掛ける。鍵は掛かっていない。中に入ると、二段ベッドが並んでいた。

「失礼しまーす。」

裕はベッドの一つに横になると、やはりかなり疲労していたようで、急速に眠りに落ちて行った。

「やべえ! 爆睡した!」

裕は叫びながら目を覚まし、飛び起きる。

とはいっても、実際に眠っていた時間は千五百秒ほどなのだが、時計も持っていない裕にはそんなことは分からないのだ。

裕は急いで外にでて、周囲の様子を確認する。

影の向きやサイズは寝る前とそう大きくは変わっていない。

「ん? そういえば、一日の長さって何時間……? まさか百時間とかそんなことはないよね……?」

一人恐ろしい想像をして青くなる。

が、考えても意味が無いことは考えない! と三秒で気持ちを切り替えると、戦場に向かう。

相変わらず怒声だか咆哮だかが聞こえてくるので、戦いはまだ続いているのだろう。

裕はとりあえず井戸に向かい、喉を潤す。太陽は天高く昇り、その日差しが強い。気温も先程よりも上がってきている。

現在は摂氏二十八度くらいだろうか。湿度が低いため風が吹くと心地よい天気と言えるのだが、町の状況からして、あまりのんびりと寛いでいるわけにもいかないだろう。

だが、裕は散歩でもするような足取りで怒号のする方へと向かって行った。

ハンターの手によって大通りにバリケードが築かれ、その手前にオーガやオークが群がって暴れている。

音をたよりに裕が目指しているのはこの場所、ここがこの町の最終防衛ラインである。

近辺には矢を受けて蹲っているオーク、地に伏して動かなくなっている獣たちがある。その周りをゴブリンたちがキーキー喚きながら走り回っている。

現在は、どちらの陣営からも矢が飛んでいる様子は無い。

その百メートル以上も離れたところで、裕は様子を窺っていた。

減っているとはいえ、相手はまだ三十以上が残っている。しかも、残っているのは大きく強い物が多い。今までのようにゴブリンや狼と一対一ならばともかく、囲まれてしまえば勝ち目など有るはずがない。

裕は思考を巡らせる。

――

矢が刺さって倒れている獣がいる……、が矢を射ている者がいない。

既に矢が尽きたのだろうか?

今もバリケードの隙間から矢を射っている、ことはまず無いだろう。バリケード前には敵が密集しているのだ。あれなら槍で突いた方が効率が良いだろう。

さっきの詰所には、矢はまだ大量に残っていたはず。それを向こうに渡してやるのが得策だろうか。

この辺りに人の死体が見当たらないということは、弓兵アーチャーはバリケードの内側にいるか、そこらの建物の中に隠れているか、死んでいるか。

ここらの建物の中を一々探し回ってなどいられないし、死んでいるなら探すだけ無駄。

ならば、バリケード内に居ることを期待して動いた方が良さそうか。

問題は、何を、どうするか。

矢を束で放り込んでやれば良いだろうか。他の重量級の武器を投げ込むのは危険だろう。やめておいた方が良いような気がする。

投げ込める場所は。あった。

バリケード手前の青屋根の三階建て。おそらく窓から投げれば届くだろう。

――

裕は急ぎ街門の横手にある詰所まで戻る。

スタコラと歩くこと約六百秒。裕は息㿽��切らせながら、戸棚を開ける。

そこには束になっている矢と矢筒が並んでいる。

山刀を手に持ち、矢筒四つを抱えて詰所を出た裕���、再びバリケード方面へ向かう。

歩くこと約九百秒。目星をつけていた建物に忍び寄り、玄関の扉に手を伸ばす。

ゆっくりと引いてみると、幸い鍵は掛かっていなかった。鍵の確認せずに矢を取りに行ったのは失敗だったと反省しつつ、周囲を見回してモンスターに見つかっていないことを確認してから静かに扉を閉める。

扉を閉めると家の中は真っ暗だ。全ての窓は木製の扉で閉ざされており、ランプでも点けない限り、昼間でもかなりの暗さになってしまう。

裕は暗い家の中で手探りで階段を見つけると上階に上がっていく。

やっとのことで三階まで辿り着き、窓を開けてバリケードの様子を確認するも、内側の様子は見えなかった。

相変わらずバリケードのすぐ外でオークやオーガが騒いでいるということは、すぐ内側に人がいて何かしているのだと予測はされるが、それが何人くらいでどんなことをしているのかまでは分からない。

裕は矢筒をハンマー投げの要領でブン回し、バリケード内側へと放り投げる。放物線を描いて、矢筒がバリケード内に落ちていくのを確認して、二つ、三つと投げ込んでいく。

仕事を終えると一休みし、呼吸を整えてから一階に降りていく。建物の入り口から周囲の様子を確認すると、バリケードから離れたところにいるオークが一匹近づいてきていた。

裕が慌てて建物の中に隠れたその時、そのオークが悲鳴を上げた。

何事かと再び裕が外を覗くと、オークの背中から数本の矢が生えている。矢の供給を受けた弓士が戦列に復帰したようだ。

攻撃を受けたオークは怒りの形相で振り向き、敵を探す。背後を向けたその隙を逃さず、裕はオークに駆け寄り、膝裏の腱を狙って山刀の刃を打ちつける。

腱を切られて盛大な悲鳴を上げて倒れるオークに、裕は容赦なく襲い掛かる。迷いもせずに首へと止めの一撃を放ち、すぐさま次の敵に向かって投石攻撃をはじめた。

弓士が仕事をし、敵が全体的に混乱している今がチャンスなのである。

全力で投げた石が放物線を描き、ゴブリンの後頭部に直撃する。

「十六!」

石が命中した個体は倒れて動かない。裕に気付いて向かってくる三匹のゴブリンに向かって走り出す。調子に乗りすぎであることを自覚しつつ、裕はあえてそれを無視する。今ならば弓の援護も期待できる。その今、調子に乗らずして何時調子に乗ると言うのか!

裕は低く構えた山刀を左端のゴブリンに向かい振り上げるが、ゴブリンはその刃を受け流す。が、そもそも一撃目は相手の動きを誘導するためのもの。歪んだ笑みを受かべるゴブリンに向かってさらに踏み込んで袈裟懸けに切りつけ、その横を駆け抜ける。

悲鳴を上げて転がるゴブリンを無視して、二匹目へと突きを繰り出す。だが、やはり躱されてしまった。しかし、次の瞬間、裕は山刀から手を離してゴブリンの頭と腕を掴む。そしてそのまま大外刈りに持ち込んだ。

頭部を掴んでの大外刈りは、当然のように頭をそのまま体重を掛けて地面に叩きつける危険極まりないというか、相手を殺すための技である。当たり前だが柔道としては反則なので絶対に真似をしてはいけない。だが、裕が今しているのは殺し合いであり、柔道の試合ではない。

大外刈りで倒れ込んだ勢いそのままに転がって三匹目からの攻撃を躱し、急いで立ち上がると三匹目のゴブリンと対峙する。ゴブリントリオはもう残り一匹だけだ。

二呼吸の後、ゴブリンが動いた。裕の手には山刀は無い。先ほど放り投げたままになっている。その素手の子供に臆することは無いとでも思ったのであろうか。

ゴブリンが耳障りな奇声を上げて山刀を大きく振りかぶる。その丸分かりな攻撃軌道を見切って裕が動く。

裕がゴブリンの間合いに入る直前、ゴブリンの肩に矢が突き立った。

ゴブリンが悲鳴を上げて振り返っている隙に、裕は落ちている山刀を拾って突撃する。

走りながら大上段に構えた山刀を野球のバットスイングの要領で横薙ぎに振り抜く。裕の裂帛の気合いに誘われて上段防御の体勢に入っていたゴブリンは、防御も回避も間に合わずに腹を切り裂かれた。

うずくまり苦しむゴブリンを蹴り倒して頭を踏み抜き、先の意識を失っている二匹にも完全に止めを刺していく。

「十九!」

裕はさらに調子に乗ってゴブリンを釣り出しては倒していった。

弓士は、子どもがゴブリンと戦っている一部始終を見ていた。

隙をみて何度か援護射撃を試みるが、子どもとゴブリンの距離が近すぎて機会はそう多くない。

そのうち二射は子どもに当たってしまうのを覚悟の上で放っていた。

援護射撃に成功しなければ味方が殺されてしまうタイミングでは誤射を恐れずに放つ。この町ではそれなりに名を知られている弓士である彼は、迷わずに実行する。

迷うことに価値は無い。戦場であれば、それはなおのこと。弓士はそれをよく知っていた。

オークやオーガの気を引きつつ、子どもの援護を繰り返し、気付いた時には二十匹ほどいたゴブリンは全て子どもの刃の前に倒れていた。

既に、敵の数は最初の三分の一以下に減っている。

百戦錬磨のハンターから見れば、単体のゴブリンは取るに足らない強さしかない。

だが、オーガやオークと刃を交えている最中に背後からゴブリンに攻撃されれば痛手を受ける。

その心配がなくなったというのは、一つの転換点と言えるだろう。

敵の主力たるオーガはほぼ残っているが、それらも無傷ではない。味方の戦力は温存されているのに対し、敵戦力は確実に減っているのだ。

オークに矢を射かけ続けながら子どもの方を見ると、静かにひっそりと戦場を離れようとしていた。オークやオーガが子どもに気付いている様子は無い。弓士にはそれを怒るつもりも咎めるつもりもない。むしろ子どもが逃げやすいように、自分へと注意を向けるべく攻勢を強める。

声を掛けるわけにもいかず、逃げ去っていく子どもを見送ってから、弓士は矢倉を下りた。リーダーに現状の報告をし、今後の作戦を立てるために。

「狼、ゴブリンは全て始末した。残りは熊×二、オーク×九、オーガ×五。」

弓士の説明を聞いているのは、防衛戦力は中級ハンターが九人、下級ハンターが二十一人。丸腰の兵士やくたたずが四十二人。

比較的魔物が少ないと言われているこの地域に、上級ハンターはいない。

戦力としては、兵士が武器を持っていれば十分に勝てるはずなのだが……

今、総攻撃を仕掛けて勝てないことは無いだろう。犠牲になるのは一人や二人ではないどころか、生き残るのが半数程度だろうが。

中級ハンターのリーダーは苦い顔をする。

どうやら、まだ決断はできないようだ。

だがバリケードのダメージも大きく、そう長く持ちこたえられそうにはない。

「バリケードが破られる前に、少しでも敵戦力を削ろう。」

リーダーが提示したのは『敵に援軍が無い』場合に有効な作戦だ。だが、反対する者は無く、バリケード越しに槍で地道に攻撃することに決まった。

一時間後。

バリケードは限界が近づいていた。

裕によって捕球された矢も、既にすべて射尽くしている。あとは覚悟を決めて総攻撃に出るだけ。そのタイミングを計っているその時だった。

上空から再び矢筒が降ってきて、不幸にもそれが兵士の一人の頭部に直撃した。声を荒らげる兵士の横にさらに二本の槍が降ってきて、兵士たちに動揺が走る。

騒ぐ兵士を奥に引っ込めて、リーダーが周囲に問う。

「先刻のもそうだが、これは一体?」

外にいる子どもからだと断じる弓士。五、六歳の子どもが一人、敵の戦力を削りつつ、こちらに矢を届けてくれているのだと。

周囲のハンター達は苦笑する。バリケードの向こうで頑張っている者がいるのは確かなのだろうが、それが幼い子ども一人でだなんてことはありえない。

だが、今はそんなことを言いあっていられるほど余裕があるわけではない。

ハンターチームが降ってきた二本の槍を兵士に手渡し、睨みつける。

「市民を守るのはアンタたちの仕事だろう!」

税を食んでいる兵士には前面に立って頑張ってほしいと思うのは当然のこと。

ハンターの作るバリケードは、最後の砦なのである。第一次防衛線である防壁・街門を放棄し、武器を捨てて逃げてきた兵士たちを快く思っているハンターなどこの場にはいない。

バリケードから突き出される槍の勢いが突如増してオーガを襲う。

手を刺されて猛り、棍棒を力いっぱい振り廻す。

さらに頭上からの怒声に顔を上げると、目の前に弓矢が突き出されていた。

目から深々と矢が突き刺さったオーガが倒れる。

その時、弓士は再び先ほどの子どもを目にした。何かを抱えてオーガの群れに突っ込んでくる。

「もう良いって! 無理するなああああああ!」

叫びながら弓士はオーガに向けて立て続けに射掛ける。

走り寄ってきた子どもは、抱えていた何かを放り投げると、踵を返して逃げて行く。

そして、オーガの姿は黒煙と炎に包まれた。

バリケードの外で燃え上がる炎を見てリーダーが決断を下す。

「全員! 出るぞ!」

これ以上の機会は二度とないだろう。

中級チームを先頭にハンター達がバリケードを飛び越えて、炎に包まれてパニックになっている敵に畳みかける。

バリケード前から少し離れた場所からオーガの咆哮があがる。

そこでは、一人の子どもがオーガに追われていた。

「目の前に集中しろ! あの子が一匹引き付けてくれているんだ、無駄にするな!」

振り返り、駆けつけようとするハンターに弓士が叫ぶ。子どもを気にして、より高い戦力を持つ者が傷を負ったのでは意味が無い。

裕は右に左に走り回ってオーガの攻撃を避けつつ、棍棒を握る手指に向けて反撃を試みる。

何度か空振りをしながらも、オーガの動きの癖を観察し、その精度を上げていっている。

横薙ぎに振るわれる棍棒の一撃を狙いすまして、思い切り踏み込んでオーガの手首に向けて全力で刃を叩き込む。

だが次の瞬間、裕はオーガが振り抜いた腕の直撃を受けて倒れ込む。

一方、裕の攻撃でオーガも棍棒を取り落としている。

予想外の反撃だったのか、オーガは怒りの咆哮を上げて裕を睨みつける。

オーガは慎重さを知らない。

裕に向かって一気に踏み込み、腕を大きく振りかぶると、その脇腹に矢が突き刺さる。弓士のナイスフォローである。

振り向き叫ぶオーガの声は次の瞬間、悲鳴に変わり、勢いよく倒れ込む。

裕がオーガの足指に山刀を突き立て、さらにオーガの後ろに回り込んでアキレス腱に向けて刃を叩き込んだのだ。回り込んだ勢いを利用しつつ渾身の力を込めたその一撃はオーガの腱を完全に断ち切っていた。

肩で息をしながら、裕はふらふらと戦場を後にする。もはや体力の限界のようである。

振り返りもせず曲がりくねった道を進み、そこで裕はありえないものを見た。

道いっぱいに広がっている骸骨兵。その数、約四十。

裕が呆然と立ち尽くしていると、骸骨兵は虚ろな眼窩を裕に向けて迫ってくる。

裕にはもう戦う力も逃げる力もない。一体くらいなら何とかなるのかも知れないが、四十という数には為す術が無い。

もはや打つ手なし。万策尽きた。万事休すという状況である。

裕は諦めることにした。

「この世界でも天国とやらに行けるのですかね? 極楽浄土に行くには南無阿弥陀仏でしたっけ……? なんまんだぶ、なんまんだぶ。」

骸骨兵に動揺が走った。

「何で諦めたら、希望が見えるのですか?」

昔から念仏って幽霊に向かって唱えたりするし、アンデッドに効いたりするんだろうか? などとぼんやり考えている暇はない。

南無阿弥陀仏なむあみだぶつ!」

合掌し、気合いを込めて叫ぶ。しかし、成仏してくれない。

次に裕が思いついたのは一つしかない。というか、これ一つしか知らないのだ。

仏説ぶっせつ摩訶般若波羅蜜多心経まかはんにゃはらみたしんぎょう 観自在菩薩かんじーざいぼーさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃーはーらーみったーじー 照見五蘊皆空しょうけんごーうんかいくう 度一切苦厄どーいっさいくーやく 舎利子しゃーりーしー……」

――

骸骨兵がゾロゾロ集まってお経を聞いている? あんたら何宗だよ?

そもそも般若心経って迷える魂に有効なのでしたっけ?

まあいいや。集中、集中。

――

依般若波羅蜜多故えーはんにゃーはーらーみったーこー 心無罣礙しんむーけいげ 無罣礙故むーけいげーこー 無有恐怖むーうーくーふー 遠離一切顛倒夢想おんりーいっさいてんどうむーそう ……」

目の前の哀れな者たちの救いを願い、経を続ける。そして。

羯諦ぎゃーてい 羯諦ぎゃーてい 波羅羯諦はらぎゃーてい 波羅僧羯諦はらそーぎゃーてい 菩提薩婆訶ぼーじーそわか般若心経はんにゃしんぎょう

骸骨兵の動きが完全に止まっている。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」

裕は静かに念仏を唱える。

骸骨兵は力を失い崩れていく。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」

何度も念仏を繰り返す。

不死者を極楽浄土に送り、裕の意識が薄れていく。

「じょーどしゅーばんざい。しんらんしょうにんばんざい。」

ワケの分からないことを言いながら裕は意識を失った。なお、浄土宗の開祖は法然である。親鸞聖人は浄土真宗だ。

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