030 特訓! 伊藤流の稽古

「お先に失礼します!」

定時である十八時になった瞬間、私は職場の自席を立つ。十九時にログインするには、急いで帰らねば間に合わない。途中、自宅の近所のスーパーでお弁当を買っていく。

この時間はまだいっぱい残っていて、選び放題だ。だが、迷っている時間はない。今日のところは唐揚げ弁当にしておこう。

家に着くと、もう十八時四十分だ。大急ぎでシャワーを済ませて、食事を摂る。食べ終わったら、もう十九時になっていた。

頭部接続装置ヘッドマウントキットを装着してスイッチオン。今日も始まるよ、ドキドキワクワクの冒険生活が!

「こんばんは!」

元気よく挨拶してみたが、クランホームの広間には誰もいない。あれ? みんなまだなのかな?

鍛冶工房を覗いてみると、既にヤナギが来ていた。彼女は学生らしいし、社会人より時間には余裕があるのかな?

「あ、ユズさんこんばんは」

「こんばんは。さん付けは要らないよ」

実は一番年下だと分かり、ヤナギの態度が少々硬くなっているが、別にそんなことに気を遣わなくて良いんだよ。

「剣の強化とかはできそう?」

「鍛冶のスキルレベル上げないと、キツイかも。CPも食うし、やることのバランスが難しいよ」

スキルレベルが上がれば必要なCPは減っていくらしい。だが、レベルを上げるにはCPが必要なのだという。

「普通にレベル上げしてCP増やすことも、ある程度は必要ってことね」

「そうみたい」

「先は長いなあ……。錬金工房とかは入手場所を見つけてすらいないし、農園ファームは第三階層クリアしてからだし」

「いやいや、思うんだけど、ユズの進み方って早すぎじゃない? どんなペースでやるつもりなのよ。第二階層クリアしてるのはウチだけだし、第一階層だってボス撃破回数はまだ二十にもなってないよ?」

全然見ていなかったけれど、メニューの記録を見ると、そんなものだった。確かに、『無傷の勝利者』を手に入れてからはハイペースで進んでいるような気がする。鎧から奪った剣だけだと、まだ第二階層でも楽勝できるレベルにはない。

「少し真面目に訓練とかした方が良いかなあ? 伊藤さん、稽古とかつけてくれるかなあ?」

「呼んだ?」

突如、背後から声を掛けられ、吃驚して振り向くと伊藤さんが覗きこんでいた。

「えっと、もし、伊藤さんが良ければ、稽古つけて欲しいのだけれど」

「それは構わないわ。あなたの戦い方が危なっかしすぎて見てられないし、私もどうしようかと思っていたの」

聞いてみると、あっさりオーケーが出た。伊藤さんは言葉数が少ないし、気難しいタイプかと勝手に思っていたが、考えてみればちょくちょくアドバイスをくれている。結構、面倒見が良いタイプなのかもしれない。

広間に戻ると、セコイアとヒイラギもログインしてきた。未ログインの人には「訓練場にいる」とメールを送って、とりあえず五人で訓練場に入ってみる。

「伊藤さん、よろしくお願いします」

「じゃあ、まずは歩き方ね」

伊藤さんの指導は剣の構え方や振り方ですらなかった。

真っ直ぐ進んで、右を向いて、左を向く。その際に身体の芯がブレまくってるから、攻撃も防御も安定しないのだとか。

爪先や膝の向き、上半身の角度、腕の振り方、視線を向ける先。ただ歩くというだけでそんな指導を受けたのは初めてだ。

途中でキキョウやツバキたちも加わり、九人で何度もステップを繰り返す。

武器も持たずにぐるぐると歩き回り、細かい指摘がなくなってきたのは三十分ほどしてからだった。

安定して歩けるようになったら、次は剣や盾を構えた状態で歩き回る。踏み込んで、退がって、左右にターンする。

ただ、剣や斧はまだ振りもしない。身体の前に構えたままだ。

「こんなことをして強くなれるの?」

「考え方がちょっと違うわね。自分の力を発揮できる位置取りはとても大切なの。例えば、不意打ちで敵が襲い掛かってきたとき、迎撃態勢をとれるかどうかで、その後が全然違うわ。振り向くのにかかる時間が〇・一秒違うだけで明暗が分かれることもある」

キキョウの疑問にも嫌な顔をせず、伊藤さんは丁寧に説明する。

確かに、敵は正面から来るばかりではない。第三階層なんて本当にどこから敵が来るのか分からないくらいだ。隙の少ない移動技術というのは、第三階層の状況を考えれば理解できる。

「歩法の訓練はこれくらいで良いかしら。毎日、少しずつでも練習しておくと良いわ」

次の訓練は、剣や盾の構え方、そして防御の仕方だった。

「じゃあ、ユズ、攻撃のつもりで私に剣を投げてみて」

幾つかの型を見せた後、伊藤さんは謎なことを要求してきた。よく分からないが、とりあえず『古びた剣』を思い切り投げ付けてみる。

伊藤さんはタイミングを合わせて自分の剣を振っただけに見えた。弾き飛ばされて、わたしの剣が地面に転がる。まあ、伊藤さんならこれくらい余裕だろう。

「これが見本。やってみて、ツバキ」

「お、おう」

剣を投げつけるのはヒイラギだ。大きく振りかぶって「どありゃ!」と叫び勢いよく投げつける。

かなりのスピードで飛んでくる剣を、ツバキは何とか弾き落とすが、伊藤さんは「悪い見本」だと言う。

「どうするのが正解なんだ?」

剣を弾き落とすことには問題なく成功している。ツバキがそう質問するのは私にもよく分かる。何が悪かったのか全く分からない。

「剣を振った後の体勢よ。それじゃあ、次の攻撃が防げないし、反撃もできない」

剣を振り終わった時には、次の攻撃や防御がすぐに行える構えになっているのが最善ということだ。一対一ならばともかく、敵が複数いる状況で隙だらけになるのは完全に素人の動きらしい。

「理屈としてはそりゃあそうだろうけど、そんな簡単にできることなの?」

「それをするのが剣術なんだけど……」

素朴な疑問を投げたら、伊藤さんは困ったように答える。

「盾がある場合はまた動き方が違うけど、剣しか持っていないユズは、これができないとこの先役に立たなくなる可能性が高いと思う。あのクマを相手にするのが精いっぱいじゃないかしら」

確かにソロで第三階層を進めるかと問われたら、疑問符がつく。クマを相手に全く勝てないということはないだろうが、何回に一回かは負けるだろうし、無傷での勝利となると、かなり厳しいどころか絶望的だろう。その程度で第三階層の奥や第四階層以降を勝ち進んでいけるかという話となると、全然自信が無い。

「何にせよ、練習せずに上達することはないわ」

「伊藤さんの言いたいことは分かったけど、普通、こういうのって型の練習をするものじゃない?」

「そうね、生身ならそうする。普通は、いきなり高度な訓練をして失敗したら大怪我するもの。最悪、命に係わるかも知れないわ。でも仮想空間ここなら、あなた本人は絶対に怪我をしないし死なないでしょ? 現実じゃ無茶な訓練方法も可能ってことよ。ある意味、とても効率的だわ」

な、なるほど。

確かに言われてみれば、怪我の心配をする必要が無いのだから、実戦的な訓練をどんどん進めて行くのは理に適っている。ただし、歩法だけはそうはいかないということで、最初にやったらしい。

「セコイアに剣投げるのお願いしていいかしら?」

「構わないよ。ちょっと待って」

セコイアが自分の剣を取り出そうとメニューを操作するが、「できないみたい」と困惑したように言ってきた。

できないってどういうこと? 私もメニューを開くがインベントリをタップしても『訓練場内では操作できません』無情なメッセージが表示されるだけだった。

なんでそんな制限あるのかよく分からないが、一度訓練場からでて装備を変更して入り直す。

わたしがセコイアに剣を投げてもらって訓練している間、ツバキとヒイラギは盾を使った防御と攻撃について教わっている。伊藤さん曰く、盾で敵をぶん殴るのは基本らしい。ダメージを与えるというより、牽制や間合いの調整の目的らしいが。

サカキはヤナギに剣を投げてもらい、キキョウとクルミ、アンズは少し離れたところで魔法を撃ちあっている。

「ねえねえ、ユズ。回復しないとそろそろ死ぬよ?」

全然気にしていなかったが、剣を弾くのに失敗して、ちょくちょく命中している。『無防の力』は装備していないので一発で死にはしないが、HPはどんどん減っていくのは当然だ。

こんなときこそ回復魔法の出番だね!

だが、買ってから一度も使っていない『治療』の詠唱は覚えていない。インベントリから魔道書を取り出そうとメニューを開くが、インベントリの操作ができない。ああもう、面倒臭いなあ。

仕方がないので一度訓練場から出て、魔道書を確認する。そのまま何度か使って詠唱を覚えたら訓練の再開だ。

だが、セコイアはまたすぐに「ねえねえ、ユズ」と困惑したように言ってきた。

「今度は何?」

「なんかスキルを習得したんだけど」

「え? どんな?」

投擲とうてき

……。さっきから何十回も剣を投げているのだから、そういうこともあるだろうけれど、なんでそんな周辺的なスキルばかり習得するんだ? わたしは一つも剣のスキルなんて習得していないよ?

だが、そんなスキルがあるならば、他の人も習得しておいた方が良いだろう。キキョウ、クルミ、アンズの三人にも教えてやると、魔法の撃ちあいから武器の投げあいに変わった。

すると、伊藤さんは三人の方に行って、投げ方について指導を始める。伊藤さんの流派って投擲まであるの? チビ相手なら蹴ったほうが良いとか、やたらと多い基本とか、いったいどんな流派なのだろう?

色々疑問はあるが、訓練をしていると時間はあっという間に過ぎ、二十一時で伊藤さんはログアウトしていった。

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