059 突然の現任訓練
替えの馬と食事が用意されると、私たちはすぐに出発することになった。
その間、門の詰所でお茶を出してもらい少しは休めたが、本当に少しだけだ。許されるなら、部屋のベッドでぐっすりと眠りたい。
食事は馬上で摂れるようにと、パンにベーコンや野菜を挟んだものが出された。さらに、昼食と夕食分も渡されて背中鞄へと詰め込む。
その際、背中鞄を圧迫していた物は先生に預かってもらうことにした。森で採集してきた材料や魔物の角は、何をどう考えても魔物退治に向かうには要らぬ荷物だ。
「こんなものを一体どうするのですか?」
私たちの大量の荷物に先生は訝しげに尋ねてきたが、ハネシテゼは「魔術道具を作る材料になるのです」と簡単に説明しただけで終わらせてしまった。
魔物退治に向かう騎士は全部で二十八人。私たちを中央に、前に十四人、後ろに十四人がつく。
「報告によれば、この辺りのはずだ。」
五年生が魔物に襲われたというのは、王都周辺の畑を抜けてすぐのところだった。
「こちらは、クマとトカゲのどちらですか?」
「近い方はクマだな。東の方へ逃げていったという報告だ。」
畑の向こうの木の背が高くないあたりということで、私たちはまず、野営か戦闘の跡を探すところから始める。火くらい焚くだろうし怪我人が多いならば血の跡などもあるだろう。
問題は、夜明け前から降り続く雪だ。木の陰ならばともかく、空が開けた場所だと完全に積もってしまっている。
「本当にこんなところにそれほど強力な魔物が出たというのですか?」
ハネシテゼは風の魔法で道路周辺の雪を吹き飛ばしながら独り言のように質問する。
「真偽は定かではないが、五年生が十数名で追い払うのが精いっぱいとされれば、魔物退治に出ないわけにはいかぬだろう」
騎士たちは、怪我人が続出したのは暗闇のなか寝込みを襲われたためで、魔物そのものはそれほど強力であるとは考えていないようだ。それでも、万が一を考えると放置するわけにもいかず、こうして出撃することになったらしい。
「朝のオオカミの例もありますし、油断は禁物かと思います。」
そう言うのはジョノミディスだ。
私たちは奇襲気味に一気に蹴散らせたから割と楽に勝てたが、わたしたちが休憩している際に逆に奇襲を受けたら痛手を受けていたかもしれないといわれたら、否定はできない。
ハネシテゼは接近を察知できるかもしれないが、そんなことができるのはハネシテゼだけだ。
「だが、魔物は橋を渡れないのではなかったか?」
「いいえ、フィエル。それは川を渡れないという意味ではありません。冬の川を苦にしない魔物ならば越えてこれるでしょう。」
事実として橋の下には効果が及んでいなかったのだ。『王の守り』が川の全域を覆っているとは考えづらい。
そんなことを話しながら痕跡を探していると、前の方から「見つけたぞ」と声が上がる。
周辺の雪を吹き飛ばしてみると、確かに新しそうな焚火の跡があり、その周辺には草木が荒れた場所がある。
騎士やハネシテゼが馬を下りて慎重に足跡を探しているが、どうやって探しているのか分からない私たちは近寄れない。
ハネシテゼが「見つけました」と指しているのを見ても、全然足跡なんてわからない。
「腰を落として、視点をもっと下げて見てください。あちらに向かって何かが通っていったように見えませんか?」
言われて見てみるとそんな気がしなくもないが、確信を持って見つけたとは言えない。フィエルも目を細めて眉間にシワを寄せてみるがよく分からないようだ。
「ならば、こうしたらどうですか?」
ハネシテゼが杖を軽く振ると風が積もった雪を少しだけ吹き散らしていく。
「足跡だ!」
私たちにもはっきりと分かる痕跡が現れ、五年生の一人、ネゼンヴェンが声を上げる。
一度見つけると騎士たちには続いていく足跡が見えているようで、迷わず馬を引いてきて「この先に行くぞ」と進んでいく。
私たちも急いで馬に乗り列に加わりついていく。
木々の葉は枯れ落ちているので林の中でも明るさはあるのだが、藪は多く、その上に雪が積もっていたりと見通しは決して良いものではない。
そんな林の中を進んでいると、突然、前の方の動きが止まった。
「魔物を見つけたのでしょうか?」
「見つけたのは、痕跡でしょうね。警戒や戦闘準備の合図もないので、おそらく糞でも見つけたのでしょう。狩りや食事の跡ならば合図があるはずです。」
「幼いのによく知っているな。我々に同行を言い渡されるわけだ。」
ハネシテゼの説明に騎士が振り向いて感心したように言う。どうやらハネシテゼが魔物退治を日常的に行なっていることは彼らには知られていないようだ。
先頭集団はまたすぐに動きだし、私たちも流れに乗ってついていく。
「やはり糞ですね。」
ハネシテゼは黒い塊を指して教えてくれるが、正直言ってあまり積極的に見たいものではない。私がちらりとだけ見ていこうとするとフィエルから「ちゃんと見ておけ」と言われてしまった。
「先頭の者たちはあれを見て足を止めたのだ。そうして確認するべきことなのだろう? 夏場、土の上でもあれを発見できることが求められるのではないか?」
フィエルはいつの間にか、考えて行動することができるようになっている。私も、ついつい自分の好き嫌いで行動してしまうところは反省しなければならないだろう。
改めてしっかりと見てから先へと進む。
雪の振る林の中を歩いていると、方向感覚が分からなくなってくる。
太陽を見てその位置を確認することもできないし、遠くの山を見て方角を確かめることができない。
周囲の木々は背丈が高いものが増え、林というより森の様相へと変わってきている。
そんな中を追っている足跡も真っ直ぐになんて進むはずがないし、右に折れ左に曲がり、自分がどちらを向いているかも分からなくなってしまう。
「どのあたりまで来たのでしょうか? 私には王都への帰り道が分かるか不安です。」
休憩の際に、周囲を見回しため息混じりにそう言うと、ハネシテゼは平然と恐ろしいことを口にした。
「そんなのわたしも分かりません。」
「そんな!」
思わず大声を上げてしまうと、ハネシテゼは「冗談です」と笑う。
「ティアリッテ様は方位器をお持ちではないのですね。」
ハネシテゼは懐から小さな道具を取り出して見せてくれた。細い輪がいくつも重なっている中に、小さな針が吊り下げられている。
「この針は常に北を指すので、これを見れば自分がどちらを向いているのか分かるのです。」
太陽や山が見えなくても、こんなもので方角を確認できるとは知らなかった。私が感心していると「方位器はみんな持っているよ」と近くにいた騎士が教えてくれた。
今日だけで私の知らないことが一体いくつあっただろう? 魔物退治を任されるには覚えなければならないことがまだまだいっぱいあるらしい。
休憩が終わり、気合を入れて立ち上がる。
だが、身体の疲れは取れるどころか増えるばかりだ。思わずふらついてしまい、周囲を心配させてしまった。
「ティアリッテ様が今一番覚えなければならないのは、馬上での休み方だと思います。長期の遠征では不可欠な技術です。」
ハネシテゼは真面目な顔でそう言う。
「今回、ティアリッテ様やジョノミディス様たちも同行するようにしたのは、四人とも今度の夏には長期の遠征に出るつもりだと聞いたからです。」
馬に乗り、列に並びながらハネシテゼの説明は続く。
遠征隊を率いる立場となるのはまだ先になるだろうが、ついていくにも必要な技術はいっぱいある。
足跡を見分けることもできず、食べ物の調達も知らず、一人疲れたと言っていてはただの足手纏いだ。そんな程度ならば遠征になどついていかない方が良い。
そう、はっきりと言われると自分の未熟さに涙が溢れそうになる。
「だから、しっかりと覚えてください。折角、このような機会を許可してくださったのですから、最大限活かさないと損ですよ。」
ハネシテゼがそう言うと騎士の方からも言葉があった。
「こちらからも頼むよ。子どものお守りをしてそれだけで終わったというのでは割りに合わない。我々も付き合わされるのだ、学んでくれなければ困る。」
そんな叱咤を受けて私は、いや、フィエルたちも顔を上げて前を見る。