032 兄姉の我儘には困ります
目まぐるしく四日が過ぎ、ハネシテゼはデォフナハ領へと帰ることとなった。
悪夢のような訓練の日々が終わった安心感と、これからは自分たちで頑張っていかなければならない不安が入り混じるなか、わたしはハネシテゼたちを領の境界まで送っていくことを申し出た。
「私よりも、畑を見た方が良いですよ?」
そう言ってハネシテゼは首を傾げるが、私も大義名分を用意している。
「畑についてもっと色々教わりたいのです。道中の畑についても助言があれば、是非ともお伺いしたいのです」
そう言うと、ハネシテゼも困ったようにデォフナハ男爵を仰ぎ見る。
「これ以上、足止めされないならば良いのではないですか?」
旅程に遅延さえなければ構わないということで、私も急遽準備を進める。
だが、翌朝、白の玄関の前には馬車がズラッと並んでいた。デォフナハの馬車は七台で、私の用意した馬車は二台のはずだ。他の十台は一体どこから……?
「私たちも行くぞ。」
「畑について全く知らぬわけにも行かぬし、ついでに東方の魔物退治も行う予定だ。」
兄たちも随分な大義名分を用意したものだが、何故、急にそんなことを言い出したのだろう?
不思議に思っていたら、フィエルが小声で教えてくれた。
「兄上たちも魔法や畑のことを覚えねば、次期当主は私になってしまうらしい。」
そう言われれば、そんなような気もする。
私は今更当主を目指すつもりはないが、フィエルは最初から目指している。そのフィエルが強力な魔法を覚え、収穫を増やすという実績を積めば一気に有力候補になるだろう。
日の出の開門と共に十九台の馬車は並んで出発する。ずっと街道を東へと行き、四日程度でデォフナハとの境界付近に着くらしい。ハネシテゼたちは、そこからさらに二、三日かけて領都へ至るという。
天気は薄曇りだが、空模様を見る限りは雨が降る様子はない。ガタゴトと馬車に揺られながら進んでいくが、私とフィエルは馬車の屋根に上って魔法の練習である。
兄たちは一つの馬車に集まり、ハネシテゼから魔力の操作について教わっている。最初にやるのは、指先に魔力を集めて、小さな魔力の玉を作ることだ。
そして、次にそれを再び吸収して自らの体内に戻す。口で言うのは簡単だが、私が実際にできるようになるまで、何度も練習を繰り返す必要があった。
だが、それができなければ、畑に魔力を撒くことなんてできないし、魔法を見て覚えることもできるようにはならない。
二時間毎の休憩の際も、兄たちは必死に指先を睨んでいた。
「お兄様、ご自分の馬の水くらいお世話したらどうですか。」
「ぬ。仕方が無いな。」
水を与えなければ馬だって倒れてしまう。主ならば、きちんと面倒を見なくてどうするというのだろうか。給水は魔力が豊富な者の仕事のはずだ。
馬たちが水を飲み、草を食んでいる間、ハネシテゼはそこら中に魔力を撒き散らす。この人はどんだけ魔力が余っているのだろう?
というか、それをやると魔物が寄ってくると言っていたはずだ。周囲を見回してみると、案の定と言うべきか、ネズミの魔物が涌いて出てきた。
「魔獣だ!」
騎士たちもすぐに気付いて戦闘態勢を取る。だが、ここで騎士たちに任せてしまうわけにはいかない。
「私がやります。」
「僕もいるぞ!」
一番前に駆け出ると、すぐ後ろからフィエルもやってきた。今、ここで使う魔法は決まっている。この三日間、何度も何度も練習してきた魔法だ。
天へと伸ばした腕を振り下ろすと、一条の雷光が奔って先頭から数匹のネズミを貫いていく。フィエルも同じ魔法を放ち、奥からやってきた数匹も地に伏す。
だが、ネズミはまだ十匹ほど残っている。爆炎の魔法で一度吹き飛ばし、その隙にフィエルの雷光が敵の数を減らす。
「これで終わり!」
私とフィエルでさらに雷光の魔法を放ち、残っていたネズミたちも全て息の根が止まる。
「何度も放つよりは、一発目でもっと多く倒すよう集中した方が良いと思いますよ。目の前に迫ってくるのが恐ろしいのは分かりますが、結果的に、敵をより近づけることになってしまっています」
ハネシテゼはこうやって、毎回、一つだけ指摘をくれる。本当はあれもこれも言いたいらしいのだが、何個も課題を並べられても対処できないから一つに絞っている。
「それが、最強の魔法というやつか。」
「私たちはまだまだです。ハネシテゼ様のようにはいきません。」
「見本は早めに見せておきましょうか。ちょうど良いことに、そこに魔物が大量にいます。」
あまり見たくないのだが、ハネシテゼが魔力を撒いた畑には、うようよと蠢く、魔虫が集まってきている。そこをハネシテゼが指差すが、兄たちには分からなかったようだ。
「兄上、姉上、よく見てください。その小さな虫、すべて魔物だそうです。」
フィエルに言われて目を凝らしながら近づき、兄姉たちは悲鳴を上げて後ずさる。私も何度見ても慣れそうにない。というか、慣れたくない。
地を這う虫たちに向かってハネシテゼが杖を振ると、幾条もの雷光が地面を駆け巡って皆殺しにしていく。
「このように、畑に巣食う魔物を残らず潰していくのです。こんなにいれば、作物だって育ちませんよ。」
「本当に、これ全てが魔物なのか?」
「少なくとも、農民は作物を荒らす害虫だと言って一生懸命潰していました。収穫の改善を望むならば、退治するに越したことはないと思います」
そう説明すれば、兄たちには反論する根拠が何もない。念のために確認すると言って近くにいる農民を呼んで「この虫は潰したので良かったのか?」と聞くが、今まさに一生懸命に潰している最中だと言われた。
「徹底的に魔物退治を、というのはこれをやれと言うことなのか?」
「先ほど、小さいながらも魔獣も出てきたではありませんか。確かに一匹一匹は小さく、平民でも退治できるものですが、だからといって放置すれば数を増やして作物に害を為すそうです。」
「だが、それは平民がもっと力を入れてやればいいのではないか?」
「代わりに、何を止めるのですか? 人の力は有限です。何かに力を注げば何かが疎かになります。」
「気合いを入れて励めばよかろう。甘やかして何になる。」
「そう言い続けた結果が、昨今の不作なのではありませんか? 先程から聞いていれば、エーギノミーアは本気で収穫を改善するつもりがあるのですか?」
兄の言い方に、不愉快だと言わんばかりに横から口出してきたのはデォフナハ男爵だ。少なくともデォフナハでは効果が高かったことばかりを教えてくれているのだから、実践するべきだろう。
自分たちの畑仕事を遅らせてまで助言してくれているのに、兄たちの態度は失礼極まりない。
「兄上、姉上。私たちがハネシテゼ様より教わったことは、地味で面倒で気色が悪くて、おまけに気が長くて嫌になることばかりです。だからと言って、避けていれば今までと何も変わらないでしょう。私は少しずつでも先に進みたいと思っています。」
フィエルの言葉にデォフナハ男爵はため息を吐いて踵を返す。
「お兄様、お姉様。教えを受けるつもりが無いなら引き返してください。デォフナハとの関係をこれ以上悪くしたくはありません。」
「……浅慮であった、済まぬ。」
長兄にそう言って頭を下げられたら、私がそれ以上言うことはできない。
「取捨選択の結果、一番に切り捨てられるのはティアリッテ様とフィエルナズサ様の自由時間でございます。」
ハネシテゼはそう釘を刺すが、そう言われると何かとても酷い扱いを受けているような気もする。
そして、従者が「そろそろ出発を」と言ってくるまで、ハネシテゼの畑についての講釈が続くのだった。