027 貴族令嬢の農業教育

「こちらに来るのは久しぶりですね。」

正面入口の前で馬車を降りると、デォフナハ男爵は目を細めながら城を見上げる。

「其方が最後に来たのは七年程前か。」

「そういえば、ハネシテゼが生まれてからは来ていませんでしたね。」

七年前なら、私はせいぜい二歳くらいだ。デォフナハ男爵が来ていたことなど全く覚えてもいない。もっとも、来ていても会ったことはないのかもしれないが。

ハネシテゼの方は、城には興味がないようで、庭の方をきょろきょろと見回している。庭といっても、隅にはまだ雪が残っているし、咲いている花など一つもない。地面から小さな芽が顔を出し始めているところなのだから、面白いものなど何もないと思う。

「井戸はどこですか?」

「ハネシテゼ、畑は明日で良いでしょう。ティアリッテ様もお疲れの様子です。」

ハネシテゼの元気はどこからくるのだろう? これから畑の仕事を始めるつもり満々だったらしく、母親に止められて悲しそうに城の入口へと向かっていった。

「ハネシテゼ様、もうじき夕食の時間ですからお部屋でお着替えを済ませてください。私がご案内しますわ。」

もう、今日は休ませてほしい。私はハネシテゼほど元気じゃないし、夕食前に湯浴みをしてさっぱりしたい。

夕食を済ませ、早めに床に就くと、次の朝は早い。

古くなった乗馬服を着て玄関へ行くと、ハネシテゼはもう準備ができているようで扉の前で待ち構えていた。私より少し遅れてフィエルがやってくると「遅いです! お日様はもう登ってしまっています」と叱られてしまった。

「では、ティアリッテ様とフィエルナズサ様の畑にご案内いたします。」

そう言って扉を開けるのは、父の従者の一人だ。直轄地の畑の一部分を私たちが管理するよう命じられ、はじめてそこへ案内されるのだ。

もともと、私やフィエルが担当して管理している畑などない。夕食の際に、ハネシテゼに大きさや立地を聞かれて戸惑ったのは私だけではない。

「畑を耕し、作物を育てるのは農民の仕事だろう?」

「それは当然でしょう。私たちが全ての畑を耕すのであれば、農民など要りませんから。」

畑を耕すのと管理するのでは違うとデォフナハ男爵は言う。そして、作物の育て方や、収穫量に対してどれほどの手間が掛かるのかは、畑に出て自分の目で見て知っておくべきなのだとも。

「そんなことを……」

「しないから、いつまでも不作、不作と騒いでいるのでしょう? この数十年、デォフナハは不作に困ったことはありませんよ?」

そう言われると、父もぐうの音も出ない。「男爵ごときがなんという口の利き方か!」などと兄が眦をつり上げたりもしたが、「男爵ごときに食料を融通してくれと頭を下げていては誇りも誉れもあるまい」と切り捨てられればポカンとするしかない。

父は奥歯を噛みしめて苦しそうな顔をするも、何も言い返さなかったところをみると、事実なのだろう。

デォフナハ男爵によると、農民を適切に畑に振り分けて、作る作物を適切に決めて割り当ててやれば、そこまで酷い不作に困ることはないらしい。

年によって出来、不出来があるのは避けられないが、蔵の中が空になるのは為政者の過ちだと鼻で笑う。

「しかし、畑の面倒を見るなど……」

この期に及んで、兄や姉は往生際が悪い。父も母もそこは飲み込み、私とフィエルは畑を回る覚悟を決めている。何としても、収穫の改善は不可欠だと

「先ほどから不思議に思っていたのですが、エーギノミーアでは、魔物退治の計画を立てるのは誰なのですか? 騎士たちの指揮を執るのは何方どなたなのですか?」

突如、ハネシテゼが脈絡の分からない質問をして、場はまた混乱することになった。

魔物退治を統率しているのは長兄だが、「魔法に長けた者が、槍を持って一番手で突撃していったらどうしますか?」という質問には困惑するばかりだ。

そんなことをする者がいるとは思えないが、最悪、処罰の対象になるのではないだろうか。

「では、槍に長けた者が、強力な魔法を使えるようになりたいと訓練を希望したらどうなさいますか?」

「素質がありそうなら認めるが、そうではないなら拒否するだろう。当たり前ではないか。」

「では、何故、農民は放置するのです? 貴方にとって、下級貴族とは奴隷みたいなものなのですか?」

ハネシテゼの言葉に、デォフナハ男爵夫妻以外は目を見開いて固まるしかなかった。

「つまり、貴族である騎士たちには命令したり制限を掛けたりするのは当たり前なのですよね? そして、農民たちは命令されることもなく、自分の好きなようにできると。私は何か変なことを言っていますか?」

「貴女はいつも変なことを言いますが、間違ってはいないでしょう。」

本当にこの親子は仲が良いのか悪いのか分からない。だが、最終的に言いたいことは伝わっているらしく、デォフナハ男爵がハネシテゼの言葉を引き継いだ。

「公爵ともなれば、下級貴族を上手く使うことができなければなりません。ですが、農民を上手く使うこともできなくて、何が領主ですか。」

父や兄たちは悔しそうに顔を歪める中、フィエルは「そうか」と納得いったようにポンと手を叩いたりするものだから困ったものだ。

そんなこんながあり、じゃあとりあえず私とフィエルに任せてみよう、ということで領都を出てすぐの畑が割り当てられたのだ。

玄関を出ると、すでに馬は用意されていた。

私もフィエルも、もう補助なしで一人で馬に跨れる。周囲を護衛の騎士たちに囲まれて城門を出ると、街の外へと向かう。

こうして城の外に出るのは初めてだ。父や母に連れられて、馬車に乗って出かけることはあっても、窓は閉ざされていて外を見ることは出来なかったし、逆に町に住む者たちも私の顔を見る機会はなかったはずだ。

大きくはないが、旗を立てた騎士が先頭を行くのだから、エーギノミーア家の者だと分かるはずだ。

通りを歩く者は皆、それを見て仰々しく跪くが、私とフィエルで「必要ない」と普段通りにするよう声をかける。

私たちはこれからは日常的に畑に出向くのだ。その度に跪いていたのでは街の活気に影響が出かねない。

街の東門を出ると、そこから右にも左にも畑が広がっている。雪がようやく解けて、農民たちは畑を一生懸命耕している最中のようだ。

そして、ここの北側の幾つかの区画が私たちの管理する範囲だ。

「そこの農民、参れ。」

父の従者が声を張り上げると、作業していた男たちが吃驚したように掛け足でやってきた。

「私は、本日よりこの区域の管理を任されることになりました、ティアリッテと申します。」

管理と言われて怪訝そうな表情を浮かべるが、彼らが質問するよりも先にハネシテゼが質問をした。

「ここは何を植える予定なのですか? 肥料は何か用意されているのですか?」

聞きながらハネシテゼは馬を下り、畑の土を手に取る。そしてそれを捏ね繰り回しながら付け加えた。

「大菜を育てましょう。この土なら、きっと美味しく育ちますよ。」

野菜の美味しさは土で決まるものなのだろうか?

「赤豆を植えるんだが、何で大菜だ?」

「むしろ、何故、赤豆ですか? あれは西日に当てた方が良く育つはずですから、ここでは不向きですよ?」

ハネシテゼは高く築かれた防壁を見上げて言う。夕方になれば、あれに遮られて防壁近くは陽が当たらなくなってしまうだろう。

「そんなこと知らない」

「そんなことも考えないから不作が終わらないんですよ。赤豆は町の西側に任せて、ここらは大菜や丸瓜を育てた方が良いでしょう。」

ハネシテゼは自信を持って断言するが、農民たちは不愉快そうに顔を見合わせている。

「最近は本当に実りが酷いんだ。当たり外れのある大菜は育てていられん。」

「今年は当たりますよ。そのためにティアリッテ様とフィエルナズサ様がこちらにいらっしゃるのですから。何を植えるかは追々考えましょう。まずは畑を耕してしまわねば。」

ハネシテゼは張り切って畑の状況を確認し、周囲に生えている草木を見て回る。何に注意すればいいか分からない私たちは、ただついていって説明を聞くだけだ。

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